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東北大学の食・農・村の復興支援プロジェクト

3月15日(金)@国際ホテル

 東北大学農学研究科の先生にお誘いいただき、表題のプロジェクト報告会に出席してきました。

 同科が震災後に取り組んできた復興支援プロジェクトの中間報告のような意味合いの会でした。すべてのプロジェクトというわけではないけれど、主要なものをほぼ網羅した感じ。東北大が関係している農の復興支援プロジェクトを一度に知ることのできる貴重な機会となりました。


 当日のプログラムはこちら
 
 http://www.nanohana-tohoku.com/ARP20130315.pdf

 何がすごいって、午前10時から始まって午後5時までの長丁場。しかもその間に、研究者/プロジェクト関係企業社員などなど28人もの人が入れ替わり立ち替わり、自分たちがかかわってきたプロジェクトを紹介する。一人10分ぐらいで、時間がすぎるとどんな偉い立場の人も鐘を鳴らされて終了を迫られる始末^^;やっぱり学会のようだったな。どのプロジェクトも中身が濃く、「もっといろいろ聞いてみたい!」と思わせる内容でした。

 わたしが面白かったのは、まず、菜の花畑の放射性物質の動き(流れ?)を追った調査。土壌から菜の花に放射性物質が移っていく様子が数値で表され、分かりやすかったです。結論から言って、その調査でも「吸収できる物理的な量は非常に少ない」という結果が出されました。震災直後、期待感を持って各地に植えられた菜の花でしたが、やはり難しいという結論が数値的に示されていました。

 
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 それでも、菜の花を植えた効果がゼロだった訳ではありません。放射性物質が検出されなければ、食用、バイオディーゼル燃料への活用が見込めます。ほか景観維持→観光スポットの創出や耕作地の保全など多面的な利点があります。何より花は心を慰めます。報告者から、こうした利点をあらためて聞くことができました。あのとき菜の花を植えた人は偉かった!

 地盤沈下の海の生物への影響についての報告も興味深かったです。ウニやアワビが津波で流出したり、砂や泥の堆積など環境の変化によって生育に影響が出ていると報告されていました。地盤沈下で困っているのは、人間だけじゃなかったんですね(考えてみたら当たり前だけど)。漁が再開されたとしても、この先に不漁になるのではと心配です。
 

 一番すごかったのは、釜石市の写真家・冒険家の山田周生さんの話。山田さんは、日本を旅している最中の2011年3月、釜石市で震災に遭遇しました。その後、そのまま釜石で被災者支援と復興支援プロジェクトに取り組んできたそうです。

 震災前にエコな燃料で世界を一周したい!という夢を掲げた山田は、天ぷら油の廃油を分解してエタノールにする装置を手作りしちゃいました。ポイントは、車の荷台に積めるようにコンパクトな装置を自作した点。これなら、ガソリンスタンドのない町でも天ぷら油さえ手に入れば車を動かすことができます。釜石まで乗ってきたのも、各国を旅したその車。もちろん、スタンドが機能しなくなった被災地で大活躍したそうです。

 これがその車。と山田さん。
 
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 驚くのは、山田さんが車づくりの素人だったということ。最初は、自動車会社でエンジニアでもしてた人かな~なんて思ったのですが。趣味が高じて、こんな車を作ってしまったのだから、本当にすごいですよね。エタノールを分解させるのに微生物を使っていて、車にはその微生物の「小屋」も積んであるそうです^^; いや~、すごい人がいるものです。釜石に行って、もう一度山田さんの話を聞いてみたい。「いつでも来てください」って言われたので、ほんとにいつか行ってみようと思います。

 地味に見えますが、農学研究科の先生方も復興の一助になろうと頑張ってらっしゃる様子が伝わってきました。一般の農家さんにも役立ちそうな情報がたくさんありそうです。これから何かの折に、興味深いプロジェクトを深堀して紹介していけたら良いなと考えています。

 









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by michiyocafe | 2013-03-29 23:38 |

先祖になる

3月8日(金)@桜井薬局セントラルホール

 ドキュメンタリー映画「先祖になる」を観ました。

 陸前高田市で津波の被害に遭いながら、被災した元の場所に一人で自宅を再建する77歳の(当時)、佐藤直志さんの話です。「先祖が守った土地を、自分も守る。自分も先祖になる」。その日の朝、モーニングバードで紹介されていました。

 あだちちかこさんからの案内で、仙台でも上映中だったと気付き。確認したところ、ちょうど最終日だったのでした。FBで誰か一緒に行かないかな~?とつぶやいてみたところ、卒業式で謝恩会を終えた黒ちゃんが合流してくれました。さらに、偶然佐々木亜衣子ちゃんも観に来ていました。みんな、気になっていたのね~。

 会場のセントラルホールは、街中で昔から頑張っている味のある映画館です。先祖になるの回には大勢の人が詰め掛け、劇場の席はあっと言う間に埋まっていきました。3月初旬から8日までの短い上映期間でしたが、連日同じように多くのお客さんが来場したそうです。平日夕方、ドキュメンタリーという分野ではとっても珍しいことなのではないかと思います。

 そして本編。津波にのまれた長男の慰霊の気持ちと、先祖に対する責任感から、「仮設住宅にはいかない」と言って自宅を離れない直志さん。ではどうするの?という周囲に対し、自宅の再建を宣言します。被災した場所に。

 直志さんは半農、半林。きこりの仕事をしながら畑を耕し、コメを育ててきました。「家が流されたらまた建て直せばいい。昔から、先祖はそうしてこの地で生きてきた」「自分はきこり。木を切って、家を建てる」。頑固ともいえるその様子に、長年連れそった奥さんもとうとう離れていってしまいます。その後もお互い気遣いあっている場面が描かれていたので、けんかしたわけではないようですが^^;

  難題はまだまだあります。自宅のある場所はまた津波が来るかもしれないとして、建築が規制されます。「危ないから、仮設に移って」と説得しにきた市の職員に対し、「俺には時間がないんだ」と訴える直志さん。近所の剛さんという男性も、直志さんを助けようと一生けん命になります。

 ぼろぼろの小屋で仮住まいを続けながら、家の完成を夢観る直志さん。冬になって、屋根の隙間からは雪が舞い込みます。病があっても病院には行かず、腰の痛みはひどくなる一方。はたして夢はかなうのか・・・。

 ここまで読んで映画を観たくなった方のために、ラストは内緒にしておきます^^。

 直志さんはがれきの残る畑でそばの種を育て、山手の田を借りてコメづくりを始めました。山に入り、木も切ります。高田で有名な「けんか七夕」に欠かせない、神輿づくりのための材木調達にも、良い指南役も務めます。

 その様子は、とても77歳とは思えません。動作は緩慢ですが、目は輝き、足取りもしっかりしている。横たわった丸太の上を危なげなく歩いたり、蔓を使って子どものように木に登ったり。

 「農作業はいいね。あったこと忘れちゃう」「(支援は)申し訳ない。やっぱり自給自足しないと」。にこにこしながら話す言葉に、昔の日本人はみんなこんなふうにたくましかったんだろうなあと思います。

 5年ほど前に亡くなったわたしの祖父も直志さんそっくりでした。頑固なところや、家が大好きなところ。不思議なことに今回津波の被害を受けることはありませんでしたが、祖父の家もいわきの海岸線から1,2キロほどの場所にありました(いまも叔母が住んでいる)。宮大工だったので、もし直志さんと同じ立場だったら、「自分で家を建て直す」と言っていたと思います。(そして仮設なんか行かない、といって周囲を困らせてた気がする^^;)。顔もどことなく似ていて、驚きました。

 直志さんは仮設住宅で暮らす地域の人のことをとても心配していました。「毎日何もすることがなく仮設にいたのでは、だめだ」「2、3年同じ状態が続いたら、人間だめになる」。することのない、行き場のない、やりがいのない毎日がいかに人間の気力をそぐか。実際、2年たったいま、あちこちで人心の荒廃が進んでいると聞きます。直志さんはその状況を直観で分かっていました。

 映画を観て、またわたしの大好きなバッタリー村を思い出しました。直志さんはうちの祖父にも似てましたが、バッタリーの偉大な村長にも似ていました。(村長はそんな頑固じゃないと思うけど^^;)自然の力を借りて、自分の足で立って生きていく。自然は怖いものだけれども、愛情を分けてくれるものでもある。その感謝の気持ちが、震災に遭っても前向きに強く生きていく気持ちを育ててくれる。そんなふうに感じました。

 また観たい映画が増えました。そして会いたい人も。
 今度は陸前高田を経由して、バッタリーに行くコースかな?

 震災から2年になる日を前に、良い映画と出会えたことに感謝します。

 映画を作ってくださったみなさん、上映を応援してくださったみなさん、映画に登場いただいた直志さんほかみなさん、ありがとうございました。

 あ、映画は9日から岩手県宮古市で上映されています。自主上映フィルムなので、みんなが観たい!と言えばまた上映してくれるかも。ぜひまた仙台で上映してください!
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by michiyocafe | 2013-03-10 23:43 | プライベート